Monthly Archives: 2月 2015

大阪派:泉布観

大阪派:泉布観

イギリス人技師ウォートルスによって1871年(明治4)に設計された、大阪最古の洋風建築。
もとは造幣局の応接所として建てられ、重文に指定されている。
コロニアル様式の建物内は、シャンデリア、暖炉、化粧鏡ほか19世紀の優れた英国風室内装飾が施され、1階廊下の磁器タイルなどは高度な技術に学ぶべき点も多い。
毎年3月下旬の3日間のみ無料で一般公開される。
所要30分。
北区天満橋/JR大阪城北詰駅徒歩10分。

渡辺津

渡辺津

平安時代、大阪は都几次ぐ位置づけの摂津職から普通の国となり、かつての賑わいを失ったと伝えられていますが、上町台地の北端付近にある港は熊野街道の起点として多くの人に利用されていました。
現在の天満橋から天神橋の間にあったとされるこの港とは渡辺津渡辺津は摂津国の旧淀川(現大川)河口に位置してくぼっおり、窪津とも呼ばれていた。
7~8世紀に営まれた難波宮が廃絶した後も、水運によって、都(平安京)と各地とを結ぶ重要な中継地であった。
渡辺津は水運や経済の要衝といった面だけではなく、宗教的にも重要な場所であった。
平安時代以降盛んになる天皇家や貴族による四天王寺や住吉大社への参詣、熊野詣の際には、京都から船で淀川を下り、ここで上陸し、陸路によって目的地を目指した。
渡辺津近辺には熊野王子の1番目の王子・渡辺王子(窪津王子)が置かれたため、渡辺津が熊野詣の起点とされるようになった。
住吉津は海神を祀る住吉大社の南方、細江と呼ばれた入江にあったと考えられる。
中津は大阪市北区の地名。
大輪田泊は神戸市兵庫区にあった港。
平清盛によって修築された。

大化の改新

大化の改新

大阪城の南、法円坂の辺りには、かつて「難波宮」と呼ばれた宮殿がありました。
難波宮は孝徳期から天武期までの前期と、聖武期から長岡への遷都までの後期に分かれますが、前期難波宮は古代政治上の重要な出来事と深い関わりがあります。
その出来事とは大化の改新。
楠木正成は鎌倉時代末期に幕府打倒を目指したある天皇について挙兵した武将で、大阪の特に河内では「楠公さん」と呼ばれています。
楠木正成が従い、後に南朝を開いた天皇は後醍醐天皇。
『日本書紀』の記述によれば、645年(大化元)、中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家が滅んだ後に一連の政治改革が行われたという。
この改革を大化の改新と呼んでいる。
宮(首都)は飛鳥の地から難波に遷された。
652年(白雉3)9月に完成した難波長柄豊碕宮は「其の宮殿の状、ことごとくに論ふべからず」であったという。
11後醍醐天皇(1288~1339、在位1318~1339)は、1333年(元弘3/正慶2)に鎌倉幕府を倒し京都に還幸し天皇親政を復活した。
これを建武新政(建武中興)という。
翌1334年、建武と改元するが、1336年(延元元/建武3)反旗をひるがえした足利尊氏に対し、後醍醐側の楠木正成が挙兵したが敗れる。
天下は再び乱れ、後醍醐天皇は吉野に赴き、京都に対抗して南朝を開く。